Introduction 〜レーサー笹原右京の生い立ち〜

Introduction 〜レーサー笹原右京の生い立ち〜

誕生

int1.jpg平成8年2月13日 
妊娠29週の検診で睾丸が超音波像に映り、男の子と判明。胎児にして右京と命名される。

平成8年4月24日 
父立会いのもと、母より3,572グラムにて予定日より一週間早く元気に誕生。家業が車屋のため、スポーツマフラーの爆音が轟くような環境の中でもまったく動じずに、飲乳→睡眠を繰り返しすくすくと成長。

F1との出会い

int2.jpg平成8年10月12日 
F1日本GPを観戦のため、生後5ヶ月半にして鈴鹿デビュー。ファンクラブミーティングの会場にて本家・片山右京さんにお会いし、その様子が会報誌に載る。平成10年4月15日 保育園に入園。 連絡帳には「車のおもちゃで・・・コンビカーに乗り・・・BMWを見て大興奮・・・F1が始まったら起きてきて・・・ラジコンカーと一緒に布団へ・・・三輪車を取り合い・・・」などなど、車に関することの記録ばかり。 絵本は車雑誌、観るビデオはF1・WRC・ベストモータリングやホットバージョンという生活の中、3歳の時コンビカーでのドリフトを自らマスターする。どんどん強靭になる股関節と引き換えにコンビカーのシャフトは折りまくれ、父親はいつしかおもちゃの車をも直す修理屋になっていた。以後成長に合わせて三輪車、足こぎバギー、電動三輪バギー、キックボード、自転車、バイク・・・と乗り物を次々と制覇。種類は変われど基本はドリフト。しまいにはかけっこでもおしりを振るようになり、親はちょっと心配する。この頃から父親のダートラ参戦(地方戦から全日本まで)に毎週のようにお供をしたり、母親とサーキットへレース観戦に行ったりとモータースポーツ三昧。本物に触れることで見る目も肥やす。


平成14年4月中旬
そんな尋常ではない保育園児のもとにF1雑誌AS+Fから取材が入り誌面を飾る。タイトルは【驚異の天才ドリフト少年現る!】

デビュー

kart2.jpg平成14年夏
もはや残された乗り物はポケバイかカートだけ。大して悩むことなく両親ともなじみのある四輪を選択。榛名レーシングファクトリーを訪ね中古のカートをオーダー。

平成14年9月10日
待ちに待ったマシンが仕上がり、満を持してのレーシングカートデビュー。榛名モータースポーツランドにて。ショップの糸井さんより各種説明&ロープをつないで犬の散歩のような状態でのブレーキ練習の後サーキットを走行。テテテテテ・・・・といった感じの今では考えられないくらいのスロー走行ながら、本人曰く「うれしくて楽しくて気持ちよくて最高!」

kart1.jpg平成14年10月〜11月
順調にカートの練習をこなしていたのが、肺炎→おなかの風邪→溶連菌感染症とたてつづけに体調を崩し、寒さやいろんな要因も重なってすっかりやる気をうしなってしまう。どんな飴も鞭も効果がなく走ることを拒否し続ける事態に、親はカートを売る決意をしたが、本人は「売りたくないけど走りたくない」という始末で原因もいまいちつかみきれず困惑。

平成14年11月17日
父親がダートトライアルのJAFカップオールスター戦で表彰台にあがる。それを見ていた右京が「僕もそこにあがるぞ!」と、一念発起した。(のかは定かでない・・・)

平成14年11月24日
トヨタモーターフェスティバルが行われている富士スピードウェイにでかけて行き、片山右京さんに「鉄棒だって自転車だって何だって練習しなくちゃ上手くはならない。カートだって同じだよ。」というような言葉をかけていただき、心に響いたのかすこし気持ちが上向いてくる。

平成14年12月5日
何だかその気になり約2ヶ月ぶりのカート練習。もしかして練習後の牛丼が楽しみなのか?12月なのでクリスマスに向けてにんじんをぶらさげられているお馬さん作戦を試してみたりしたところ、ちょっと成功。ただ冬期はコース状況との兼ね合いもありなかなかコンスタントに走れず。正に冬眠状態。

平成15年3月 私立桜ヶ丘保育園卒園
平成15年4月 沼田市立沼田北小学校入学
小学生になったとたんに自立心が芽生え、いろんなことに前向きに取り組むようになる。

平成15年4月20日 
WGPの加藤大治郎選手が亡くなったというニュースを見て、神妙な顔つきの右京に「大ちゃんはもう走りたくてもサーキットを走ることができないんだよね・・右京も走りたい気持ちがあるかぎりがんばろうよ。だいちゃんのぶんもさ・・・」というような内容の話をしたところ、「うん!」と答えた右京の目は今までとはひとあじ違っているように見えたのだった。

平成15年5月4日 
ひいおじいちゃんのお葬式にて、ひ孫代表でお別れの言葉を述べる。その中で「カートをがんばるから見守っていてね」と、列席者の前で立派に宣言。

平成15年夏 
気持ちもすっかり前向きになり、放課後も夏休みも1時間でも走れるとなれば榛名へ。ひたすら走りこむ。タイムもどんどんあがってきて、いよいよレースを視野に練習に取り組む。

平成15年10月5日
榛名モータースポーツランドにて練習走行中、ホームストレートの終わりでパスをしていった前車がスピンし、そこへ右京が避けきれずに時速約82キロでつっこみクラッシュ。初めてのアクシデントに騒然となる。幸い身体の方は大事にいたらなかったので、メンタルな部分を非常に心配したが、翌日には「あ〜〜カートで走りてえ〜!」とのコメントに一安心。

平成15年10月12日 
ヤマハSL榛名シリーズ第4戦(於 榛名モータースポーツランド)にてレースデビュー。